2023年11月25日

御文様とは

今日は日帰り金沢で母親の四十九日。
長めの御経の後に御文さんの抜粋を御坊さん(母親の推し坊主)に読みあげてもらい、その解釈を聞く。
そしたら「御文」の名の通りこれは蓮如上人の「お手紙」集なんですってね。ははあ。
それで、以前打ち込んだ父親の手記を読み返したら、手紙って書いてあるじゃんねえ。文が回りくどすぎてわからんかったよ。ていうかよくわかってないまま載せるのもどうよ。

というわけで、父親の遺した謎のノート群の中身にあらためて興味を持ち直した日だったのでした。

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2023年03月13日

【御文】御文について

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本願寺第八代蓮如上人が、真宗の正しい意(こころ)を凡愚の我々に対し、一味としての味はい方を訓(おし)えんがために、最も平易に述べられて、信心為本の根本を教え導かれた御消息であります。
真宗の今日盛んなるは「お文」さまに依る所が多いのであります。
編者は上人の御孫円如法師と聞いておりますが、上人八十五才(明応八年三月)御入寂の四ヶ月前に四帖目十五通(大阪建立)が最后の御筆作であり、暗闇の世に灯明を放たれ真宗再興の旗をかかげられた、親しみ易いお手紙として下された(末法の世に残された)唯一の道標であると施行する次第であります。

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〇御文さまの由来
蓮如上人のご出生から、凡そ二十年程前までは、日本の国は南北両朝に別れて、京都は勿論、近畿地方から関東そして北国に至るまで戦さの絶える暇もなかったのであります。世は荒れて、その為に諸寺諸山は兵乱に蹂躙され、真宗は本山の所在地さえも定まらず、従って本願寺の衰微も甚だしい有様でした。

〇蓮師の御幼少の時代
御父上存如上人の時代(蓮如上人の御幼少の頃)には衰頽(すいたい)もその極度に達し、灯す油を買う費用もなく、京の黒木(焚木を頭にのせて売り歩いたもの)を焚いて御聖教をご覧になり、月の光りに照しては御拝見されたと云う。また身には紙の白衣をお召しになり、衣は破れたものを着られ、二三日と食事をおとりにならなかったことさえもあったと伝えられています。
遺徳記に依りますと、蓮如様が六才の御時、母君にお別れになりましたが、その時「願くば児(おまえ)の一代に聖人の御一流を再興せよ」と幼い童に、懇ろに述べられたまま何処ともなく、立ち去られたとのことでした。蓮如様は母君のこの言葉を肝に銘じて忘れず、十五才の御年から一生を通じて真宗の再興にお尽しになられたのであります。
そして日常の言動はと申しますと、ことごとく佛法弘通と、唯念佛をしなさいよ、信じんを取れよ、冥加を喜べよ、その上に報恩謝徳の御念佛を申せよ、と念佛相続の日暮しを私達に教える為にご苦労なされたのであります。

〇御文の教導
一宗を再興するために、その取られた方法の一つに自ら足を運んで信仰者の間に入って布教され、不法無心のたぐいにはその者の立場になって行動され、方便を以って近づいては身をゆだねて御説法下されたのであります。もう一つは現在までも私たちにとって一番解り易くお説き下されましたお文さまであります。それは寛政二年、上人御年四十七才の時「聖人一流」の御文を始めて御製作成されて、金ヶ森の道西(かながもりのどうさい)へ、有縁の者を勧化せよとお与えになってからお文を願うものの為に、或は、御自身自らの御気持ちでお書になって与えられたものなど・・・帖内八十通、帖外八十二通、夏の文、改悔文(かいげもん)、その他拾遺御文など尚世に出ていないものを、まとめると何百通にもなると云はれております。今日御拝読させて戴いている帖内八十通の本にまとめ上げられたのは蓮如上人の八番目の御子実如上人とその御子円如さまであり、その事は金ヶ森物語りにも、「円如上人御文八十通を校合(きょうごう)し、集め己(おわ)りて、即ち逝去し給う。選集のための出世かと、時の人申しきとなん。」と云われています。この円如上人は大永元年三十三才の御早世であったそうで、その収集や編纂には、非常な御苦心や難儀をせられたと云うことであります。
実如上人の当時は、写本であったそうですが、後の証如上人の御時に開版になり、多くの御門徒の衆(ひとびと)を導いて往生の本意を遂げさせる為に、人々に信を取らすのが目的であって、「信心為本」の一流がありありと伺えるのであります。

続く
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2023年03月12日

【父】もう一つの目的

今日の日記はちょっと毛色が違います。
新しいことを始めようと思ってます。


最近ブログを再開した私ですが
出演情報の他にもう一つ理由がありました。
それは父がちまちま書いていたノートを
デジタル化して世に出したかったからです。

父が書いていたのは、御文さんと呼ばれる浄土真宗の布教用読み物を、わかりやすく書き下したものでした。

*****
御文(おふみ)は、浄土真宗本願寺八世蓮如が、その布教手段として全国の門徒へ消息として発信した仮名書きによる法語。
(ウィキペディア抜粋)
*****

それを、土日になるとお寺に呼ばれて
集まったおじいちゃんおばあちゃんに分かりやすく説明する、てことをやってたみたいです。
平日はその下準備というか手頃なダンボール紙に何やらマジックペンで書きつけてたり。

私としては興味はあったんだけど、
なにそれーなんて聞いたが最後話が終わらない気がしたので、なかなか聞けず
結局継ぐこともなく父は亡くなったのでした。
私が悪いんじゃないぞ。
お父さんの話が長いのが悪いんやからな。

それから数年経って
実家でそのノートにふと惹かれてページをめくったとき
その長い長い文章が修正ペンなしにつらつらと書き連ねられているのを見て、私は思わず涙が出ました。

私なんか数行書いては修正テープが活躍するというのに、この集中力!

そのノートが何十冊も遺されていたのにも衝撃を受けたし、
本のタイトルが全部微妙に違うのもキモかった?し、
間が抜けてるにしてもナンバリングで60冊は存在してたのも、
もうショックでショックでしょうがなかったのです。
これをこのまま捨てられるのかと。
私にはこれは父が、言い過ぎかもしれないけど、命を削って書いたように見えたのでした。

こんなとこにあってもいつか捨てられるのなら、
ネットの海に載せて誰か興味のある人が見てくれたら、
このノートも令和まで残った甲斐があるのではないか。

そんな使命に勝手にかられてから、またこれが数年経ってるのですが
ようやく重い腰が上がり、キーボードを打ち始めたのでした。

興味のない方には面白くもなんともないコンテンツですが
ぼちぼちやっていくので、生温い目で見守ってやってください。
posted by かのん at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 転記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする